心理的に成長した人は、社会的に適応している行動をとりながらも、満足しています。しかし五歳児の大人(心の成長がある段階で止まったままで、社会的に過剰(かじょう)に適応している人)は、社会的には適応していますが、毎日が不満です。ちょうどテーブルをふきたくないのに、強引にテーブルをふかされた子供のイライラした心理と同じです。社会的に望ましいことをイヤイヤした時、心のやさしさは消えます。

五歳児の大人の性格的特徴の第一は、まじめで憎しみを持っているということです。小さい頃から、自分の中の自然な人間性を否定され、したくないことを強制的にさせられたことで憎しみを持っていますし、またそれだけに、同じように嫌なことをしない人を許(ゆる)しません。たとえば、鉛筆をイヤイヤ削(けず)らされた子は、鉛筆を削るのを忘れた子供に鉛筆を貸しません。

性格的特徴の第二は、他人の弱点を許せないで、協調性がないということです。たとえば、毎朝、早く会社に来て、イヤイヤそうじをしているサラリーマンは、会社に遅れてくる新入社員を許しません。しかし、もし、その早く来ているサラリーマンが、掃除が好きで早くから会社に来ているなら、遅れてくる新入社員を許すでしょう。

日常生活の中で「がまんしなさい」と親から教育されている子供は、他の人ががまんしない時、それが許せません。「なんで自分だけががまんしなければならないんだ!」と、がまんしない人が許せません。自分が嫌なことに耐()えさせられたのに、他の子供がそれをしないということが許せないのです。礼儀正しくしたくないのに礼儀正しくした人は、礼儀正しくない人を許しません。

小さい頃、家の手伝いをしたくないのに、心理的に力ずくで、たとえば「それをしないと見捨てるぞ」という脅(おど)しなどで、家の手伝いをさせられた子供は、自分が親になった時、今度は家の手伝いをしない子供を許しません。多くの日本の親は五歳児の大人です。日本の親は、がまんばかりしている人が多い。だからわがままな子供を許しません。子供にやさしくなれません。

わがままな人に、どのくらい激しい敵意を抱くかということは、その人がどのくらいつらい思いをさせられながら生きてきたか、ということによります。小さい頃、どのくらい大人の言うとおりに嫌なことを従順にしながら生きてきたか、によるのです。つらい思いに耐えて従順に生きてくればくるほど、嫌なことをしないで、安易に流される人間を認められなくなります。

心理的に健康な大人は、何事も興味から入って、満足して、それらを卒業してきた人々です。人は、自分がしたいことをした時に、他人のわがままを許します。しかし、それをがまんさせられた人は、他人のわがままを許しません。心理的に健康な大人は、生きるのが楽しいし、他人にはやさしいのです。五歳児の大人は、この逆です。「生きるのがつらい」ということと同時に「他人に厳しい」ということです。

五歳児の大人は、したいことをしていません。五歳児の大人には、「人が何と言っても、もう自分が絶対にやりたいこと」をやったという体験がありません。人生を楽しんで幸せな人は、「自分はこれをしたい、絶対にやってやる」ということを実際にしています。そこで「もう悔()いはない」となります。「もう、本当にやった」という満足感を持っています。

人生にはそれぞれの時期にそれぞれ満足すべき欲求があります。五歳児の大人はそれが満たされていません。だから他人に対して厳しいのです。子供の時期に子供にしかできないことを十分堪能(たんのう)した大人と五歳児の大人とでは、同じ年齢でも心理的にはまったく違った世界に住んでいます。心理的に健康な人は、どちらかというと楽しむことに重点が置かれて生きてきました。五歳児の大人は、生き方そのものが「楽しむ」ということに重点が置かれていないのです。

 

参考 『「大人になりきれない人」の心理』 加藤諦三 PHP研究所